18世紀のドイツの哲学者イマヌエル・カントが著書『永遠平和のために』のなかで次のように書いている。
「地球は球体であって、どこまでも果てしなく広がっているわけではない。限られた土地のなかで、人間はたがいに我慢し合わなくてはならない」
日本では1970年代に「宇宙船地球号」という言葉が流行した。小さな地球上で資源の奪い合いや経済競争を続けていると、人類は滅んでしまう、というものだ。
いまの地球上はどうだろうか?「宇宙船地球号」が航海していたころ、地球上の人口は約40億人だった。現在は80億人を超えているから、半世紀でざっと2倍に膨れ上がっている。ますます人口密度が高くなり、窮屈になっているところに、地域紛争、民族紛争などが相次いでいる。かつて経済格差を意味していた「南北問題」は、『グローバルサウス」という新しい言葉で復活している。「地球温暖化」は待ったなしだ。「宇宙船地球号」は、元々「呉越同舟」ではあったが、いまや船頭が姿を消した。地球は一つという考え方はどこかへ行ってしまったようだ。それに変わって、軍事力で現状を変えようという動きが後を絶たない。「地政学」という聞き慣れない学問が、最近の書店で目につくようになった。目的のためには核兵器の使用も辞さないと平気で述べる政治家もいる。人のことなど構っておれない。地球のことなど、俺には関係ない、といわんばかりだ。丸い小さな地球上で、分断と破壊が進んでいる。「第3次世界大戦」という言葉も遠くから聞こえてくる。
終戦からまもなく80年、戦争や被爆の現状を知っている人は年々少なくなっている。日本人は、戦争はとおい昔のことだと思っている人がほとんどだろう。しかし、ロシアのウクライナ侵攻に続く、イスラエルとパレスチナの争いは、もはや平和な時代は終わったことを意味しているのかもしれない。そうだとすると、日本国憲法第9条で日本の平和は守れるのか、いや、前文すらも改正が必要ではないか?と心配になってくる。核兵器禁止条約はできたものの、核保有国も、その同盟国も核廃絶に目を向けようとしない。核兵器は使用目的ではない、抑止力が狙いだと言われてきたが、いまや、まさに使われようとしている。国連の安全保障理事会は機能不全に陥っていて、核問題を議論できる状況ではない。このままでは平和への取り組みそのものが風化しかねない。###
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