ジャーナリストの文章修行①

Uncategorized

①たくさん読んで、たくさん書く

文章がうまくなりたければ、いい文章をたくさん読むのが基本

方丈記 鴨長明

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖とまたかくのごとし。たましきの都のうちに棟を並べ、甍を争える高き卑しき人のすまひは世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。或いは去年焼けて今年作れり。或いは大家滅びて小家となる。住む人も是に同じ。所も変わらず、人も多かれど、古見し人は二、三十人が中にわずかに一人二人なり。

平家物語

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。おごれる人も久しからず。唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ。偏に風の前の塵に同じ。
遠く異朝をとぶらへば秦の趙高、漢の王莽、梁の周伊、唐の禄山、これらは皆旧主先皇の政にもしたがわず、楽しみをきはめ、諫めをも思ひいれず、天下の乱れむ事をさとらずして、民間の愁ふる所を知らざッしかば、久しからずして亡じにし者どもなり。

徒然草(序段) 兼好法師

つれづれなるままに、日ぐらし、硯にむかいて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそ物狂おしけれ。


世の中に名文と言われる文章はいくらでもあります。中でも、ここに引用した文章は、誰もがどこかで見たり聞いたりしてきたことでしょう。これらの文章を暗記している人も少なくないと思います。いい文章をたくさん読むというのは昔から、文章を書く練習の基本とされてきました。ちなみに、鴨長明の『方丈記』、兼好法師の『徒然草』、清小納言の『枕草子』が日本の三大随筆をよばれています。

私は、会社を退職した後、ほとんど毎日のように、これらの文章を私製の原稿用紙に書き写しています。理由は、手で文字を書く習慣を忘れないためです。パソコンやワープロで文章を書くようになって、漢字が思い出せなくなった、手がうまく動かなくなったという人がたくさんいます。こうしたことにならないように、そして、認知症が進むのを少しでも遅らせるために、手書きの練習を続けています。

私が会社務めを辞めて今年で20年になります。日数にすると7000日を超えます。仮に週に1回、書いたとしても、1000本ほど書き写した計算になります。これだけ書けば、文章を覚えるだけでなく、著者の思いも伝わってきます。それだけでなく、文章の調子の良さに感心させられます。つい、大きな声を出して読んでみたくなります。

文章がうまくなりたいと思うのは誰しも同じです。最近では手紙を書く人は少なくなりましたが、手紙のうまい人は今でも憧れの的です。では、どうしたら文章がうまくなれるのでしょうか?

いい文章を読むことは誰でも想像できます。しかし、仮に名文をたくさん読んだからといって、それだけで文章がうまくなる訳ではないでしょう。水泳の本を読んでも早く泳げるようにはなりません。自転車の乗り方についての本を読んでも、それだけでは自転車に乗れるとは思いません。やはり、実際に泳いでみる、自転車に乗ってみる事が必要です。文章も同じで、自分で書かないとうまくなりません。

『文章読本』が教える文章上達の秘訣は「名文に親しむ」こと

書店に行けば文章の書き方についての本は山のようにあります。チラッと目を通しただけですが、「文章はシンプルに」「文章は必ず推敲する」「わかりやすい言葉を選ぶ」「接続詞を正しく使う」と言った具合です。間違っているとは思いませんが、具体的にどうやったらいいかわかりますか?

シンプルにと言われたらどうするのか? 推敲のやり方は? わかりやすい言葉ってどの程度? 接続詞の正しい使い方は? イメージはわきましたか? 私は文章の書き方を一人で練習するのは非常に難しいと思っています。

現在はSNS全盛の時代です。ブログを始める人も大勢います。一方で新聞や書籍を読む人が減り、活字離れが問題になっています。手紙は書かなくなり、その代わりにLINEで連絡を取り合っています。文章からはどんどん離れているのではないでしょうか? そんなときに、文章の修行は大変だと思います。

TouTubeでブログの書き方の動画を見ていると、ひと月に数十万円、数百万円を稼ぐとい人気ブロガーも、決まり文句のように、「私も最初から文章が書けたわけではない」と言っています。こうした人たちがどの程度の文章を書いているのか、確認したことはありません。しかし、文章の性格からパターンがあることは想像できます。これで名文が書けるとは思いません。

私が学校を卒業して記者になったには1973年(昭和48)年です。この頃話題になった本があります。『文章読本』です。丸谷才一氏の『文章読本』でも紹介されていますが、谷崎潤一郎の『文章読本』は昭和9年に初版が出版されました。私が持っているのはその新装の初版で昭和48年に出版されています。もう一冊の丸谷才一『文章読本』は昭和52年に初版が出版されました。今から半世紀近くも前のことで、これらの本を読んだ記憶はほとんどありません。時期を考えると、駆け出しの記者が必死になって原稿書きの練習をしたのだろうと想像できます。私はいわば転勤族で、引っ越しのたびに本を処分してきましたが、この2冊はいまだに私の本棚に並んでいます。

久しぶりに本を開いたので、谷崎と丸谷の2人の文章についての考え方を少しだけ紹介しておきます。

『文章読本』 谷崎潤一郎

私は、自分の長年の経験から割り出し、文章を作るのに最も必要な、そうして現代の口語文に最も欠けている根本の事項のみを主にして、この読本を書いた。いわばこの書は「我々日本人が日本語の文章を書く心得」を記したのである。

ただ、欲を言えば、枚数に制限されて引用文を節約したのが残念である。文章道に大切なのは理屈よりも実際であるから、一々例証をあげて説明することができたならば、読者諸君の同感を得る上に、よほど助けになったに違いない。

『文章読本』 丸谷才一

昭和9年、谷崎潤一郎が『文章読本』をあらわしてのち、同じ題、あるいはよく似た題の本を3人の小説家が書いた。昭和25年の川端康成、昭和34年の三島由紀夫、昭和50年の中村真一郎である。そして今また私が『文章読本』なる物に取りかかろうとする。こんなことは明治大正にはなかった。維新以前にはなおさらなかった。

文章の上達の秘訣は一つしかない。或いは、そのただ一つが要諦であって、他はことごとく枝葉末節にすぎない。

秘訣とは何のことはない名文を読むことだといえば、人は拍子抜けして、馬鹿にするなとつぶやくかもしれない。そんな迂遠な話では困ると嘆く向きもあろう。だが、私は大まじめだし、迂遠であろうとなかろうと、とにかくこれしか道はないのである。観念するしかない。作文の極意はただ名文に接し名文に親しむこと、それに尽きる。

小説の大家も文章修行には名文に親しむ事を大切にしていたことが分かりました。しかし、これだけで文章がうまくなるのかどうか、疑問が残ります。振り返ってみると、日本の教育には日本語を書く練習をする機会が有りません。本を読んだり、人が書いた文章を参考にしたりして、一人で悪戦苦闘しているのではないでしょうか? その結果、SNS時代の日本語の実力はどうなっているのでしょうか?

令和2年の夏、「無敵の文章術」というタイトルの週刊誌が発行されました。報告書や提案書、企画書、論文など、様々な文章の書き方が紹介されています。こうした中には、現在の文章の表現力などについての評価も書かれています。それをいくつか見てみましょう。

『仕事上の文章力獲得に正確な読解力は不可欠』 新井紀子

まずは、国立情報学研究所 社会共育知研究センターの新井教授教授の分析です。

書く力を養うには、まずは文章を読めないといけない。自分では読めていると思っていても、意外と誤読しているケースはあるものだ。

SNSを活用していることで、「自分は読んだり書いたりすることが得意だ」と勘違いしている人は少なくない。自分の言葉で論理的に導くことができない傾向がある。

専門領域の話を一般の人に誤読させずに伝えるプレゼン能力も欠かせない。
一般の人の頭にフィットするように説明するには記述力が必要。内容を正確に把握して過不足なく縮約し、専門家でない人にも分かるように適切な例示をしながら伝える。日本企業に求められる人材だ。

『仕事上の文章力獲得に正確な読解力は不可欠』 新井紀子

『エッセイの書き方』岸本葉子

エッセイを書くことを仕事にして、30年ほどになります。始めるに当たって、ないし、途中で、エッセイの方法を体系的に学ぶ機会はありませんでした。エッセイを書くための確立された方法論があるのかどうかは分かりません。

私について言えば、書くことを続ける中で、こうすればエッセイとして成り立つかなとなんとなくつかんで来たものはある気がします。文章を最初に読んだ編集者の人に、ここはわかりにくいと指摘された、或いは読者の方から、書き手の私が思うのとは違う意味に取られた、といった経験をとおしてです。

 『エッセイの書き方』 岸本葉子(中公文庫)より

フィードバックがないと上達しない 樺沢紫苑

「たくさん読んで、書く」以外の道はない

「作家になりたいのなら、絶対にしなければいけないことが2つある。たくさん読み、たくさん書くことだ。私の知る限り、その代わりになる物はないし、近道もない。」
そこで重要なのは「フィードバック」です。毎日、たくさんの文章を書いてもフィードバックが得られなければ、上達はしません。インプットとアウトプットの堂々巡り。同じレベルの文章を書き続けるだけです。

文章のフィードバックとは、誰かに文章をよんでもらい、アドバイス、批判、修正点、改善点、長所、短所など、感想をもらうことです;

ネットに文章を書くことは、「批判に晒されることなので、躊躇する人も多いのですが、誰にも読まれず、誰からも批判されない文章を何万字書いても、文章が上達することはありません。「読まれる」という緊張感が、集中力を高め、よりよい文章を書こうとすることが、最高の刺激となります。

こうしてみてくると、文章力は一朝一夕に身につくようなものではないようです。一方でリモートワークの普及やSNSの流行で、文章を書く機会は確実に増えています。仕事で文章力が求められると、文章の書ける人と、苦手な人では大きな差がついてくることでしょう。文章を書くのがビジネス・スキルになっています。これをどうやったら身につけることができるのでしょうか?

次回はジャーナリストとして文章修行をしてきた私の経験をお話しします。(次回に続く)

コメント

タイトルとURLをコピーしました