②文章上達は指導者次第
SNSに投稿してみるのもよし。ブログを書いてもよし。仕事で書類を作ることも必要でしょう。最近はあまりないけど、手紙を書いたら彼女から喜ばれるかも・・・。そんなとき、文書が上手に書けたらいいなと思いませんか。でも、「自分は文章がうまい」と思っている人は、それほど多くはないようです。
どうやったら、文章がうまく書けるようになるのでしょうか? その答えは、名文に親しみ、たくさん読んで、たくさん書く以外にないようです。しかし、前回登場した樺沢紫苑さんは「毎日たくさんの文章を書いても、フィードバックが得られなければ、上達はしません。」と述べています。一体誰からフィードバックをもらえばいいのでしょうか? 誰でもいいから、文書の悪い点を指摘してもらうと思うかもしれなせんが、これはかえって混乱のもとです。指摘が適切なものかどうかは疑問です。同じ文章を読んで、いいという人もいれば、悪いという人もいるかもしれません。これでは、文章を書き続けることはできなくなります。できれば、身の回りに、文章のうまい、信頼のできる人を見つけて、指導を仰ぐのが一番でしょう。
ジャーナリストの修行は原稿の書き方から始まる
一般的にマスコミの関係者は文章を書くのがうまいと思われています。私も自分のことをそうだと思っています。しかし、文章がうまいから記者に採用されたかというと、それは違います。私は入局以来、自分でニュース原稿を書いて、上司のチェックを受ける仕事と、後輩記者が書いた原稿をチェックする仕事の両方を経験してきました。その経験で言うと、同じ記者でも入局(NHKは入社とは言わない)当初は、原稿のうまい人も、うまくない人もいます。
新人記者は、NHKに入ると2ヶ月間、東京で研修のために寮生活をします。まさに、缶詰めです。そこで記者としての心構えや、取材に必要な技術の習得に努めます。その中心が原稿の書き方です。方法は様々ですが、記憶に残っているのは、過去に実際に起きた殺人事件や交通事故、住宅火災などを材料にしました。研修の期間中は、入社10年以上の社会部の先輩記者が、講師として指導に当たります。この講師を警察官に見立てて、事件や事故の概要や原因、背景などを質問し、それをもとに1本のニュース原稿に仕上げます。完成した原稿は、様々な批判に晒されます。実際にニュースに使える原稿を書くのは、結構大変です。
NHKのニュース原稿のスタイル
最初にNHKのニュース原稿がどんな物かの説明をしておきます。
私が記者生活を始めた頃は、まだワープロはなく、原稿は手書きでした。原稿用紙はA4の大きさで、これを横にして、縦書き10行の線が引いてあります。新聞と違って、マス目はありません。アナウンサーが読みやすいように大きな字で書く必要があり、1行あたりの文字数は10字が目安でした。文章の区切り、息の継ぎ方に合わせて、10行にならなくても、5~6行で、次の原稿用紙に変えることもあります。
ニュース原稿の長さは、文字数ではなく、アナウンサーが読む時間(秒数)で決まります。ローカル局の昼のニュースの持ち時間は5分です。ここに4本のニュースを入れるのが普通です。つまり、1本のニュースの長さは1分10秒か1分20秒になります。私が若い頃は、NHKのアナウンサーが原稿を読む早さは1分間に370字くらいと言われていました。大雑把に言うと、1本のニュースで、400字詰めの原稿用紙1枚分を読む速さです。記者の文章修行は、この400字の原稿を来る日も来る日も書く練習です。
原稿用紙の使い方は記者によって異なります。句読点の打ち方、言葉の切れ目、アナウンサーの息継ぎの仕方などを反映させると、同じ1分10秒のニュースでも、原稿用紙の枚数は違ってきます。一つの文が原稿用紙2枚にまたがった場合は、次の文章は、さらに新しい原稿用紙で書き始めることもあります。私の場合は、一本のニュースで使う原稿用紙は6枚から7枚というのが普通でした。
文章の要素は5W1Hと言われます。what、who、when、where、why、howです。事件事故などの場合は、5W1Hは誰が書いても内容は同じです。原稿を書く記者によって事件の場所や時間が違うことはありません。しかし、400字の中でこれらを書くと、残りはほんの少しになります。ここで、何を書くかが、記者の目のつけ所、記者の個性です。記者としては、自分か書いたという足跡を残したいと思います。それはひと言で言うと、このニュースで何を伝えたいかの違いです。文字数は少なくても、記者の経験や判断力が物を言います。
地方で勤務すると一人でいくつもの仕事を担当します。祭りなどがあります。展覧会があります。スポーツもあります。政治、経済は当然です。これらを取材するには、それなりの理由があります。現場に行くと、余りに面白くて、1分10秒で納めるのがもったいないと思うこともあります。そんなときに、「もう少し時間をください」と言っても、まず認められません。その一方で、予想に反してつまらない催しなどもあります。しかし、昼のニュースに予定していたら、取材をやめることはできません。そんなときでも1分10秒の原稿を書くことが求められます。事前の取材が不十分だったと言うこともあるでしょう。現場で取材力が足りないこともあります。
駆け出しの記者は警察担当
私がまだ小学生のころ、民放のテレビで「事件記者」というドラマが放送されていました。警視庁の記者クラブに詰めている各社の記者が特ダネを争って、事件を追うというものです。そのときの記者が格好良かったので自分も記者になったという人が何人もいます。特派員が海外からレポートをしている姿に憧れた人もいます。政治の背景を解説する記者を目指した人もいます。
マスコミの記者になる人は、社会部とか、政治部とか、国際部とか、それぞれ希望を持っています。しかし、NHKの記者になると、希望とは関係なく、最初の2年間は、全員、地方で警察担当をします。東京には一人も残しません。私は経済の取材を希望していましたが、入局前から人事部の人に「最初の2年間は警察担当ですよ。我慢できますか?」と聞かれました。
東京での研修が終わって、赴任したのは福岡でした。着任して間もなく、交通事故の取材をしました。そのとき、1分10秒の原稿が書けなかったのを覚えています。どうしても1分くらいにしかなりません。取材力がなかったのです。そのとき先輩記者から言われたのは、「1分10秒の原稿を書くためには、その10倍書けるくらいの材料を集めなければだめだ」と言うことでした。それだけの材料を集めた上で、どれが必要かを考えて原稿にするようにと言われました。短いニュースにもそれだけの取材の裏付けがあるということでした。
警察取材を続けていると、いつかは殺人事件に遭遇するといわれます。ところが私は1年半くらい、殺人事件と無縁でした。先輩から「篠原はかわいそうだ」といわれたこともあります。しばらくすると、タクシーの運転手が殺害される事件が起きました。ところが結論から言うと、この2つの事件は未解決のまま時効を迎えました。従って、私は犯人逮捕の瞬間に立ち会ったことがありません。
さらに言うと、私は大阪で1年間、市内の警察署担当をしたことがあります。このときも事件に恵まれることなく、あの大阪府警の捜査1課に捜査本部がひとつもなくなるという珍事までありました。私は本当に事件にはついていないと思います。
原稿を巡るデスクとの駆け引き
現場を駆けずり回って取材し、原稿を書くのは記者の仕事です。しかし、何を取材するかを決めるのは(ニュース)デスクです。デスクは自分で取材に出かけることはありません。NHKの中にいて、記者の取材を監視し、書かれた原稿のチェックをします。つまり、机に張り付いているからデスクです。デスクはほとんどの場合、記者の経験者です。記者が書いた原稿はすべてデスクのチェックを受けます。
原稿は記者によってスタイルが有ります。デスクも記者経験がありますから、自分のスタイルをもっています。そこで、記者が書いた原稿がそのままスンナリと通ることはまれです。何か、いいたくなります。今となっては何の原稿だったかは覚えていませんが、ある原稿でデスクに延々と怒られてた事があります。私は記者クラブにいたので、電話でしたが、原稿の中の2行が必要なのかどうかの質問から始まりました。私もたいした話ではないと思ったので、「そこは削ってください」と答えたところ、「おまえは必要のないことを原稿に書いたのか」と大声で怒られました。それから約30分、グズグズと小言が続きました。私は、先輩が先輩風を吹かせたかったのだろうくらいにしか感じていませんが、ニュースの世界はそんな雰囲気が漂っていました。
原稿書きは記者にとって、必修科目です。原稿が書けない記者は生き残れません。特に昔のニュースの現場は現在と比べると別世界と言っていいほどシビアでした。ある日、一日の仕事が終わって、先輩記者と数人で飲みに出かけました。そこで、某デスクが「篠原、今日書いた原稿をここでそらんじて見ろ」と言い始めました。つまり、書いたままの原稿をこの場で再現しろと言うのです。こんなことを言われたらびっくりする人もいると思います。しかし、私はその場でやってみせました。自分がどんな原稿を書いたか、どんな表現をしたか、なぜそんな言葉を選択したのかは、計算尽くの話ですから、全部覚えています。私は推敲という言葉は使いませんが、それと同じ事を原稿を書いている段階でしています。暗唱は翌日でもできただろうし、特に気を遣った表現などは半年後でも覚えています。
こんなこともありました。ニュースデスクは原稿をチェックするのが仕事です。記者が書いた原稿を、そのまま通すと、自分が仕事をしていないように感じる人もいます。なにか、ケチをつけたくなります。そこである日、「今日のデスクは誰か」を確かめた上で、いつもより少し長めの原稿を書いて送りました。デスクが余計な部分を削ったら、仕事をした気分になるだろうという計算です。結果は私の思った通りで、わざと余計に書いた部分を削って、そのほかは手つかずで採用されました。
原稿をチェックして見えるもの
私が現場を走り回って原稿を書いたのは入局から17年間。その後は一時、ニュースデスクを務めました。つまり、原稿を書く側からチェックする側に変わりました。そのとき気をつけたことが二つあります。一つは見落とさないこと。誤字脱字はともかくとして、NHKのニュースとしてふさわしい原稿かどうかを見定めることです。もう一つは、ニュースは時間との勝負だと言うことです。特に昼のニュースは、時間直前にならないと原稿が出てきません。それだけに、瞬間にチェックする部分を見つけなければなりません。記者の経験が問われます。
自分で原稿を書くことがなくなって、記者の仕事ぶりを見ているといくつか気になることがあります。
一つ目は記者の書く記事が少ないことです。記者は原稿を書くから記者です。これは新聞社も同じでしょう。書いてなんぼの世界です。しかし、最近は原稿を書きたがらない記者が増えています。できることなら、書かないで済ませたいと思っています。これでは本業の文章を書く力もつくはずがありません。
記者になったばかりの1年生、2年生の記者は一生懸命に原稿を書きます。その賢明さが伝わってきます。ところが3年、4年と記者の仕事に慣れてくると、原稿に手抜きが見え始めます。それでも1、2年生記者よりも文章はうまいといえるかもしれません。しかし、人間育成も兼ねたニュースデスクの立場から見ると、1年生の一生懸命書いた原稿のほうが、手抜き丸見えの4年生の原稿よりも好ましく見えるものです。
若い頃から原稿を書き慣れていない記者は、10年以上経っても分かります。実際にそんな原稿をチェックしたことがあります。出された原稿を見た瞬間に、この記者は若い頃に余り原稿を書いていない、つまり、原稿書きを逃げてきたと分かります。そんな目で普段の仕事ぶりを見ると、まさにその通りだと変に納得してしまします。後輩の記者の前では先輩面をしているかもしれませんが、こんな記者は決して文章がうまくはなりません。
私がデスクとしてやったことは、とにかく記者に原稿を書かせることです。原稿は書かないと始まりません。判断力もつきません。そこで書くことに抵抗がなくなったところで、その記者の原稿のどこが悪いのかを指摘します。誤字脱字は論外です。間違いは当然指摘しますが、それで原稿がうまくなるかどうかとは関係ありません。日本語の文法が理解できていない記者もいます。これは日本語の文の読み方が足りないのです。名文に親しむと言いますが、名文に限らずとも、文章を読むことです。
この原稿の何がニュースなのかが分からない原稿もあります。役所の発表をそのまま原稿にしたものの、視聴者にとってどんな意味があるのかわらないのです。文章が書いた記者の意図通りに理解されるかどうかが不明な物もあります。そんな意味でかいたのではないと言いたくなる原稿です。しかし、原稿にいいわけは通用しません。誤解されないように書くのが原稿です。さらに、一つのニュースで伝えるのは一つです。2つ伝えたければ、原稿を2本書くべきです。それを一本で済ませようとすると誤解の元になります。
そして何より、わかりやすく、優しく書くことです。大学を卒業した記者が書くわけですから、どうしても最初は言葉が難しくなります。私も新人時代に、「原稿は論文ではない」と言われたことがあります。それを優しく書くのはかなりの努力を要します。NHKではニュース原稿の用語は中学卒業程度の学力の人に分かるように、という基準があります。しかし、結構難しい言葉が使われています。
フィードバックが必要なわけ
私はこうした指導を、記者をそばに呼んで、直接行ないます。電話ではだめです。タイミングを失ってもだめです。原稿を書いたときにすぐに行ないます。
私は一時期、優しい言葉を徹底したことがあります。ニュース原稿に限らず、普段の自分の文章も優しく書くよう気をつけました。ところが有るとき、こんなに優しい言葉で原稿を書いていたら、普通の文章を書けなくなるのではないかと悩んだことがあります。しかし、いまは、ニュースも視聴者に分かりやすく伝えるのが使命だと納得しています。ニュースに限らず、優しく伝えられる物は何でも優しく伝えた方がいいと思っています。
前回、樺山紫苑さんがいっていた、フィードバックが必要だと言っていたのも、こうしたことではないでしょうか?名文に親しんでいない人は、自分の文章のどこが悪いのかを判断する物差しを持っていません。どこを推敲するのかもわかりません。そんな人には、具体的にどこが悪いかを指摘してあげなければなりません。
記者の文章修業も同じです。まず、文章をたくさん書かせること。その上で、具体的にだめなところを指摘します。なぜだめなのかは当然説明します。そうすることによって自分の文章の未熟さを自覚させることです。
ここで注意することは、文章の指導は一人づつ個別にすることです。文章の悪いところは一人づつ違います。したがって、10人を一カ所に集めて指摘することはできません。個人に合わせた指導が必要です。もう一つ注目して欲しいのは、記者は毎日記事を書くということです。新人時代から、毎日最低でも1本、原稿を書けと言われてきました。これは結構大変なことです。しかし、慣れてくると、1日に3本とか5本とか書いたこともあります。しかもすべての原稿について、チェックを受ける、つまり個別指導を受けるということです。これだけでやっても、文章がうまくならなければ、その方がおかしいでしょう。
この文章を読んでくれる人たちは、どうやって文章を書く練習をしているのでしょうか? 自分の書いた文章を自分で添削できますか? 文章の良し悪しをどうやって判断しますか? ひとりでできますか?
文化センターの文章教室のような所に通う方法もあるかもしれません。でも、私はこれは推奨しません。書き方の指導は個別に行なうべきだと思っているからです。そうなると、あとは適当な指導者を見つけて、個別に指導してもらうしかありません。これは、結構難しいと思います。1週間に1本、或いはひと月に1本原稿を書いても、量が少なすぎます。上達するためにはある程度の量をこなす必要があります。そう考えると、適当な指導者が見つかるかどうかが、文章が上達できるかどうかの分かれ道だと思います。(了)
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